【プレミアム】新谷編集長に学ぶ「週刊文春」の競争戦略セミナーレポート FavoriteLoadingあとで読む

: 事務局
編集作業やコンテンツを作成する人へ。週刊文春の新谷編集長が、今気にしていることや心がけていること、編集体制などをセミナーで話してくれました。

ウェブ担当者通信の代表である丸山が「これは!」と思った優良セミナーを受けてきて、感想をお伝えするものです。内容については丸山の解釈が入りますので、間違っている部分があるかも知れません。もし内容を気に入ったり、より詳しいお話がお聞きになりたい場合などは、ぜひ著者・主催者のセミナーに参加されることをお薦めいたします。

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画像:Pixabay

タイトル
新谷編集長に学ぶ「週刊文春」の競争戦略
開催日時
2017年6月14日(水)19:00-21:00
主催
アカデミーヒルズ
講師
講師 新谷学「週刊文春」編集長
モデレーター 楠木健 一橋大学国際企業戦略研究科教授
受講価格
5,000円

このセミナーについて

このセミナーに参加した理由

昨今話題の文春砲。

一気に売れ行きを回復させた新谷編集長は、いったいどのようにして文春を再度メジャーに返り咲かせたのでしょうか?また多くの有名人を震え上がらせている文春砲はどのように生まれるのでしょうか?

逆風がふきあれる出版業において異彩をはなっている文春さんの話を聞くことで、ウェブ担当者にとってインターネット時代にどのようなコンテンツを発信していくべきか考えるべきヒントをもらえると思いましたので、参加してきました。

こんなセミナーでした

まず新谷氏の顔が上品で驚きました。私の中ではゴシップ系の方って某芸能レポーターさんのようなイメージだったので。。しかしお話を聞いていくとしっかりとした哲学をおもちで、上品さを感じる理由もなんとなくわかりました。またモデレーターの一橋大学教授楠木氏の洞察が鋭く、人にとってのコンテンツや生き方、社会など含めかなり深い話が展開されたと思います。講座に参加して正解でした。

セミナー参加者の属性

定員150名が満席でした。出版業からNHKの方などメディアの人が多かったようです。インターネットメディアを運営している人もいました。

セミナーメモ

  • コンテンツではなく、その奥に届いている価値に注目する
  • 善悪で人を攻撃することなかれ
  • 苦しい時こそフルスイング

興味のある方はぜひ主催者のページをご覧ください。

セミナーレポート

インターネット時代にコンテンツにお金を払うとは何か?

情報の発信方法がインターネットに集約されてきた感がある。しかしインターネットは、ユーザーもメディアも「情報自体は無料である」という暗黙の前提がある。無料である以上、メディア側の課金モデルは広告におんぶにだっこであり、どんどん質が悪くなる運命にある。

つまり長い目でみればお金をとれるようなものが本当に価値があるコンテンツなのだが、それを本当に実現するにはどうしたら良いだろうか?

まずエンタメ系コンテンツについては、ますます競争が激化している。
週刊誌が扱うようなファクトベースの内容もあれば、スポーツ中継、テレビ番組、インターネット動画なども出てきている。ユーザーが何に時間を使うかはますます細分化している。

時代の流れもあるし、速報性についてもインターネットに分があるため、文春でもインターネットへの挑戦は検討中だが、そのまま雑誌コンテンツをインターネットに持ち込んでも成立するかはわからない。

雑誌にはある程度文字でつづられてまとまっているという価値とボリューム感があるが、それがインターネットになってしまうと、ボリュームのパワーが分散し価値が目減りしてしまうのではないか。

参考にしたいと思っているのがオランダのコレスポンデッド。
thecorrespondent.com/
会員制の組織でインターネットでうまくいっている。しかし、このメディアの求心力は「正しさを追求するというジャーナリズム」に集まるメンバーであって、エンターテーメントの発信である文春が同じように真似てもうまくいくかはわからない。

また新聞の仕組みもジャーナリズムを中心とした継続課金システムであり、毎号エンタメの内容で売れるか売れないかが決まる文春には真似できない。

時代が求めるモノも重要である。

90年代はポストと現代が強かった。その時代は今よりもっとストレートで、女、金、健康に人気が集中していて、タイトルも露骨なものがよかった。
しかし、こういった露骨な欲求に答えるのはインターネットの方が得意なので、おそらくどんどん代替されてきていて、だからこそポストと現代の力は弱まっている。

今できる一つのアイディアとして、文春が多様なファンクラブを作るモデルは成立するかも知れない。  例えばジャニーズだったらジャニーズに特化した内容を会員だけが読めるようにする。これを様々な分野に展開する。
これは各分野の熟練フリーライターを抱えている文春にしかできないモデルである。

コンテンツの課金を検討する場合は、ユーザーがコンテンツの奥に潜む何に価値を払っているのか深く観察することが大切である。そもそも新聞のようにコンテンツの価値ではなくシステムに支えられた収益モデルもあるので、視野を広くもたなくてはならない。

コンテンツはそもそも属人的なのか?

コンテンツとは、企業としてその価値を標準化できるものなのだろうか?
それとも、そもそも属人的でしかあり得ないのだろうか?

新潮と文春はずっとライバルとしてしのぎを削ってきたが、運営体制にも大きな違いがある。
新潮は文学的な趣向があり、人の移動もほとんどなく、文体に一種の共通性がある。

一方で、在野のフリーライターの集まりであるのが文春で、そのかわり、それぞれのライターがジャニーズなど含めて独自の情報収集網を構築できており、文春砲が成立するのはそのためである。

文春は編集長も3年くらいの短期スパンで変わるが、その編集長によって雑誌の色も少し変わるし、売れ行きも悪くなったり良くなったりする。

ひょっとすると、コンテンツは結局「誰が書くか」という属人的なものかも知れない。
そうであるならば、駄目だった人が代替されていくだけである。

ブランドと属人性

中身が属人的に変化するのだとすると、長年続く雑誌のブランドとは一体何なのだろうか?
これは、非常にシンボル的で、実態とはまったく関係ないのかも知れない。

例えば大学においても一橋大学の運営は教授個人の活躍に期待をする文春体制に近く、積極的にブランドイメージを作ろうとはしていない。

一方で慶応大学の運営は新潮に近く、戦略的にブランドイメージを構築している。わかることはどちらの大学もブランドとして成立し、集客力をずっとキープできている。

つまり戦略があろうとなかろうと、属人性があろうとなからろうと、その名前を見聞きするような活躍があれば、帰納的にブランドはできあがるのかも知れない。

価値をシンプルにした上で、参入障壁をあげよう

文春が提供している主なものは、有名人の私生活暴露である。
人の性として有名人の暮らしは気になるので、これは価値として成立している。

一方で、独自の取材網がなければこのような記事を作ることはむずかしい。
これは参入障壁が高いということで、このように価値はシンプルだが、実現する仕組みが複雑なものは儲かる。

こういった特性を生かしたビジネスを構築していくべきである。

成長の限界に面している

今までビジネスの話をしたが、そもそもビジネスでうまく行く人を礼讃し続けることが良いのかという問題もある。

出版業界もそうだが、そもそも現在の日本における各業界の逆風などを考えると、どうしても資本主義の中での成長の限界を感じる時がある。

仕組みとして考えた時、資本主義社会において成長できる要因は外部要因しかなく、今まで日本が成長してきたのは人口増加という外部要因があったからである。

その外部要因がすべて止まった今、経済としては縮小するのが必然なのだが、残念ながら今までの成長を皆が信じているため、まだ成長したいと願ってしまう。

歴史を研究すれば、その先に待っているのはいつの時代も「戦争」である。
みんな、本当に戦争をしてまで成長を望むのか。生き残りという言葉をいつまで使うのか。
日本はいち早く成熟を迎えた国として、社会としても大きな課題を抱えている。

苦しい時にこそフルスイング

出版業界は苦しい。しかし、そんな時にこそ仕事に真摯に向かい、仕事を全力で楽しみたい。
そういう姿勢がみんなを勇気づけると思うし、結果が出なくとも人生としては価値があるのではないか。

苦しい時こそフルスイングである。

文春の裏話

編集部の体制

週刊文春は60人くらい在籍している。
そのうち特派記者が半分。フリーのライターでもネタをとってくると原稿料が多く出る。
基本的にネタをもってきた人が記事まで仕上げていて、もう一人の誰かがサポート(業界ではアシと呼ぶ)としてアサインされる。

各ライターは自分の強い分野がはっきりしている。また文春としてはライターのブランディングもサポートするので、書籍はその人の名前でだすようにしている。

文春砲が生まれた秘密

2012年に新谷氏が編集長になってから言った言葉。
「スキャンダルこそ週刊文春の花である」。

もともと文春がメジャーになったのはロス疑惑がきっかけ。スクープ路線でどんどん部数が伸びた。それを最近は忘れてきていた。それを思いだし、自分たちのコアバリューが浸透してきたことが関係していると感じる。

そもそもスクープをとるのは大変な仕事。
よく関係者が通う店でアルバイトをはじめたり、麻雀を一緒にやったり、とにかく時間がかかる。そういうことをするライターさんが多数在籍していないと成り立たない。

そこで他誌に負けたくない!という気持ちが今の文春砲を作り上げていると思う。

文春が新潮の記事をパクったって本当?

本当といえば本当だが、嘘といえば嘘。
そもそも、新潮の情報を知ったのは本当だが、もう入稿も終わっていた時間だし、それで内容を差し替えるようなことはしていない。

今回の件は、一般的に業界で行われている雑談ベースの情報収集が公になってしまったのが問題で、情報源の管理がずさんだったせいで、情報を教えてくれたトーハンさんまで迷惑がかかってしまったと反省している。

法的な問題があるわけではないのだが、こういう情報戦というのは、我々のようなスクープを相伴の種とする企業では必ず秘密裏に行うべきで、それも含めて反省している。

小出恵介事件にどう取り組むか

文春としては事実を把握し、弱い者いじめはしたくない、というのが感じていること。

小出恵介さんの淫行疑惑については、女性の話があまり出てきていなかったので、女性へのインタビューを試みた。

結果的には  女性が親の顔を知らないなど含めて、格差社会をリアルに感じる内容だった。

女性が悪いという話は、芸能人側の事務所が拡散したのは間違いではなく、そこにはリアルがある。善悪というよりは、人間模様の一つだと捉えている。

どちらにせよ報道側として何を報じるのか、何を報じないのかを厳しく問われる時代になっていると感じている。

善悪をつける考え方や、ジャーナリズムを高尚だという考え方は大嫌い

一方で、文春は人間エンターテーメントを届けるという姿勢は崩したくない。
我々人間はみんな聖人君主ではないし、やっぱり他人のことを知りたいのも人間だと思う。

だからこそ毎号、人に興味をもってもらえるようなタイトルを真剣に考えるし、楽しんでもらいたいと考えている。

我々はそういう下衆と言われるような部分も含めて人間活動だと捉えていて、逆に善悪の意識を過度に持ち込んで、人を追い詰めたり、立派なことを言い続ける人は嫌いである。

新聞記者も、ジャーナリズムを扱う自分たちを高尚だと捉え、その実、1つ1つの内容で勝負するのではなくユーザーに対して責任をもたない人が多いので嫌いである。

親しき仲にもスキャンダル

そういうことで、私は人と仲良くしたいと思うが、スキャンダルは別を心情としてる。
影響をもつメディアの責任として、一番最初に政治家の不倫報道を知っても出産を控えているなど、人の命や生命に影響を与えるような場合には、控えるなどの配慮はする。(残念ながらフラッシュがスクープしてしまったが)
しかし、そうでない限りは「親しき仲にもスキャンダル」である。

セミナーを受けた丸山の感想

■総合評価

冒頭にも記載しましたが、お二人の掛け合いが深くてさまざまな示唆にとんだセミナーだったと思います。今後も楠木氏がモデレーターを務めるセミナーは参加して間違いないかと思いました。

個人的には新谷氏の善悪で捉えないという考え方はとても好きで、多くの物事が白黒はっきりすると、実はとても無味乾燥なつらい社会になってしまうので、多少ウェットなところがあった方がいいというのが持論です。

ただ、それを受け入れて提供するのが自分たちの役割だといいきってフルスイングで取り組む新谷氏の姿勢はなかなか真似はできないと思いました。必要だけど、一方で人から後ろ指を指されやすい仕事でもありますからね。

残念ながら私はさほど芸能人に興味がないので文春を買ってはいないのですけど、それでもいつかタイトルが気になったら購入してみようと思います。

●本セミナーの内容に質問がある方へ
事務局で質問を受け付けます。メンバーズサイトの質問コーナーに記入して頂くか、お問い合わフォームよりご連絡ください。

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この記事を書いた人: 事務局

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