ウェブ担当者通信の代表である丸山が「これは!」と思った優良セミナーを受けてきて、感想をお伝えするものです。内容については丸山の解釈が入りますので、間違っている部分があるかもしれません。もし内容を気に入り、より詳しいお話がお聞きになりたい場合などは、ぜひ著者・主催者のセミナーに参加されることをオススメいたします。
AIにより、世の中はどう変わると考えるか。
AIエキスポの出展企業や基調講演などを大別してみると、AIに取り組む姿勢として、3つのグループに分かれている気がします。
※勝手にそれぞれのグループに名前をつけてみました。
今回の基調講演であれば1はヤフー安宅さん、2はドワンゴ川上さん、3は東京大学の中村さんですね。
正直、未来は全くわかりません(笑)。これが本音ですね。
しかし、ヤフーの安宅さんの講演を聞く1年以上前から「これからはサービス革命の時代」だと表現した私(※)としては、何らかの予測を行いたいと思います。
※これ
twitter.com/koji_maruyama/status/819362882949234688
結論からいうと、私はドワンゴ川上さんの意見に近いです。つまりAIに対する態度として「2.SFグループ」に私は所属しています。
その他の1番の歴史は繰り返すグループは、この数十年で古くなるグループだと思っていますし、また3番のグループは永久に残ると思いますが、能力的に私が所属できるグループではありませんのでパスです(笑)。
私は確かにSFグループに所属していますが、川上さんと違い、人間や社会がまったく変わって小説1984のような超管理社会が到来するというほど極端ではありません。
GoogleやAmazonなどの大企業・グローバル企業や、ブロックチェーンを活用する公的団体・新興のテクノロジー活用企業が社会インフラの提供をはじめ、より便利なサービスをAIで作り上げるイメージをもっています
より便利なサービスとは、たとえばキャッシュレスになったり、簡単にお金を借りれたり、犯罪率が下がったり、ほとんど自動で目的地についたり、入国審査が簡単になったりなどです。
画像:pixabay
そして、エネルギー効率が大幅UPし、食料品の確保がより簡単にできるようになり、世界全体の生活レベルはもう少しあがっていくでしょう。
そうなると、人はより単純労働や重労働から解放されていくことになります。
2045年にシンギュラリティ(※)が起るかは悩ましいのでおいておいて、そこまでAIが発展する間、仕事は大きく以下5つにわかれていくのではないかと推測しています。
これら5つのどれを仕事にするかは職業選択の自由と本人適正の問題になってきますが、どちらにしろ、3番~5番のサービス業が隆盛し、人々には、様々な職種につく自由が生まれるでしょう。
またAIがきめ細やかなマイクロサービスを提供するので、世の中はより暮らしやすくなり、余暇の時間も今より増えていくはずです。
このような「人々の自由」が少しずつ増える結果、社会は今後30年の間に少しずつ変わっていくと私は考えています。
多くの人はAI時代に何をしたらよいのか?と職業の不安に駆られるかもしれません。
しかし私は、AI時代を読み解く本筋は、むしろ「過度な自由」とそれに伴う「自由の管理」の2つのキーワードだと考えています。
実は自由というのは恐ろしく、自分自身と向き合うことを強制してきます。「人間は自由という刑に処せられている」といったのはサルトルです。
自由すぎるというのは、精神的にきついものがあるのです。
そのようになったとき、様々な社会課題を引き起こす可能性がありますが、最終的に良い面としては、多くの場面で理屈は取り払われ、シンプルな「楽しい」という感情が復興してくる可能性が高いと私は考えています。
「楽しい」とは、人を楽しませることであったり、恋愛であったり、スポーツであったり、芸術であったりします。
イメージが近いのは、子供のようなあまり理屈のない自由な世界です。
画像:pixabay
楽しいからボールを蹴る、絵を描く、泥団子を作ってふるまうといった、意味はないけど、やってみたいことにチャレンジし、それに対価を払う人が現れ、AIによりマッチングされることで生計を立てる人がでてくると考えています。
自由の結果、さまざまなニッチサービスが多様に生まれ、それが経済活動としても成立し、人々の楽しみが増える。これが私の考える未来の楽しい一側面です。
しかし、楽しいだけではありません。
「楽しい」は「快楽」や「楽をする」の「楽」と同じ漢字を使います。
楽しみは様々なサービスを生み出しますが、もし行きすぎて快楽に結びついた場合は、極端な例として性犯罪のような暴力に結びつくこともありえるでしょう。
また自由という刑に耐えられなくなった場合も、薬物や無差別殺人などの犯罪が増える可能性があるかもしれません。無気力もありえます。
またAI自体を使った犯罪も増える可能性があります。愉快犯のようなものから、実質的に相手の生活を脅かすものまで。サイバー攻撃は激しさを増すでしょう。
過度な自由とテクノロジーの極端な進化により、新しい社会課題が生まれる可能性があります。
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そうような社会課題を解決するためにも、AIが活躍する可能性があります。
極端な話、生まれた時からコンピューターチップを内蔵させ、成長の過程と生体反応を見守ることで、犯罪予備軍を発見できる可能性があります。
そこまでいかなくても、数日前にダガーナイフを買っているなどの行動パターンから犯罪予備軍を高確率で推測することもできるでしょう。
しかし、当然ながらこの話は「AIによる人々の監視」という絶対条件が必要です。
そうなると、ヨーロッパを中心に、人々が長い年月を経て獲得してきた「人々の自由」という倫理観と対立します。(先日も個人情報を保護するGDPRが話題になったばかりです)
AIによる自由の管理と倫理観。これがAI時代の最大のテーマかもしれません。
このあたりはSFでは飽きるほど取り上げられたテーマでしょうし、総務省のAIネットワーク社会推進会議によっても既に検討がなされているようです。
▼人工知能の倫理:何が問題なのか -2017年11月6日 AIネットワーク社会推進会議資料
www.soumu.go.jp/main_content/000520384.pdf
上記の資料の中ではこう結ばれています。
ある種のテクノロジー(の産物)は悪用に傾きやすい固有のバイアスを持っている。例えば、麻薬のようなものは、確かに薬としても使えるということは事実だが、圧倒的に悪用・濫用されやすいバイアスを持っている。
そのような個々のテクノロジーの持つ固有のバイアスを考えることはエンジニア、ユーザー、政策決定者の責務である。
AIネットワークにより生まれる便利なサービスや人々に自由をもたらすサービスは、AIに自分のデータを渡さないとできない仕組みです。
これは人間が管理されているのと一緒ですから、なんとなく怖いと思う人が出る心理もわかりますし、前出の資料では
「だからこそ(悪用されないよう)政策決定者の責務」
があると書いています。
このようなAIシステムが行き着く先は、どうなるのでしょうか。
少しのヒントが 現在の中国にあるかもしれません。
画像:pixabay
今年の5月に、初めて中国(広州と深圳)にいったのですが、私の事前の想像と違い、人々はおおらかで自由で楽しそうでした。(まぁ車の運転は荒いですが)
ご存知の人も多いかもしれませんが、中国はほとんどのところでFreeのWi-Fiが使えます。
当然、当局の監視が入っていると思われるので「セキュリティは怖くないのですか?」と聞いたら、「そんなの気にしていたら中国には居られない」と笑っていました。
そうやって、便利さを受け入れているのです。
報道をみると中国には問題が多いようにも思えますが、実際にいってみた印象はだいぶ違います。
たとえば今時の中国の若者はあまり働くことをせず、出稼ぎでお金を稼いで、長期休みの春節で実家に帰ったら遊んでしまい職場には戻ってこないそうです。そして、またお金がなくなったら働きに出てくるそう。だいぶ自由ですね。
一方で、都会では富豪の夢を見る若者達がベンチャー企業で休みなく働いています。こちらも勢いがあって楽しそうでした。
現在の中国では体制批判など致命的なエラーをしない限り、それなりに個人の自由が保障されているのです。
管理された中での自由という意味では、中国はかなり先進国です。
中国は個人データを政府に引き渡すハードルが他の国に比べて低いので、その分スピード速くAI先進国になる可能性を秘めていると思います。
しかし、我々が日本人から見れば、中国というのは倫理的に問題を抱えており、その国がAI先進国になることを恐ろしくも感じると思います。
先の総務省の資料では、倫理問題を下記のように定義づけています。
一般化して要約すると倫理的課題とは「人類全体の繁栄、幸福を促進しつつ、犠牲をできるだけ少なくする」ということである。
この目的に対し、アンフェアに見えるのが中国なのでしょう。
しかし、私は最終的にどの国や企業が生き残りをかけて覇権を握ろうが、どちらにしろ社会全体としては悪くない状況になるのではないかと考えています。
仮に中国がこのまま全世界の覇権を握ったとします。面白くはない状況ですが、その状況で中国がやることは体制の安定化でしょう。
安定のために何をするかというと、支配した全世界の人類を安定させなければならず、中国の為政者がAIに解決策を求める可能性があります。
そうすると、AIが下す決断は、今の為政者とは全く違ったものになる可能性があります。たとえば、威信をかけた新幹線が壊れたことを隠すのではなく、公にすることで体制全体が安定するのだとすれば、公にする可能性があります。
これはAIが人間の判断を超えている状態であり(いわゆるシンギュラリティに近い)、こうなると為政者もいつしかAIの奴隷になっています。しかしそれが一番安心であれば、いつしか自分で判断するのを恐れて、さまざまな判断がAIに譲渡されていく可能性は十分にあるでしょう。
どのような団体(企業や国家、もしくは任意団体)も、生き残りをかけてAIを進化させていった結果、AIが下す判断に依存するようになり、結果的に、先の倫理観に対してフェアになっていくのではないかと私は思っています。
なぜなら倫理観を突き詰めることこそ、結局、自分が生き残る確率が最も高い判断だと考えられるからです。
つまり、AIに人間が管理されることの是非を人間が議論している間に、ほぼ自然発生的(もしくは必然的)に、人間はAIに管理されることになる(もしくは選択する)と思っています。
人間はAIの奴隷になるかもしれませんが、それはおそらく一番倫理的な社会に近いであろう、と予測しています。
だから私は楽観的なのです。
私の楽観論に否定的な立場をとる人もいると思います。
たとえば仮に中国のとある独裁者がAIに判断を委ねた結果、その独裁者が自殺することが正解だったとします。
その独裁者はAIの判断に従うことなく、むしろAIを駆逐していくかもしれませんね。
またAIだって常に万能ではないでしょう。
AIによる管理社会は、手塚治虫の名作「火の鳥未来編」で描かれたような、人間を生まれる前から遺伝子レベルで調整するといった話や、エラーを起こして最終戦争に突入する可能性を秘めているかも知れません。
私もこの可能性は否定できないと思いますし、歴史は繰り返すと捉えれば、戦争もまた人間らしい文化の一つであるという話もあります。そんなに簡単にユートピアはできないですし、むしろユートピアが出来たとしたら、それを破壊したいのもまた人間であるといえるかもしれません。
とはいえ、私はやはり楽観的な立場として良い未来を信じたいと思っています。
つまりAIは人間のより良い判断を手助けし、社会は倫理的によりフェアな状態に変化すると考えています。
残念ながら論理的な根拠はなく、テクノロジーの進化により、社会は常に人の自由を増やせるよう変化していると考えられる(犯罪率、労働時間、餓死の減少など)という傾向に頼ったものですが、もっとシンプルに直感的根拠ならあります。
こちらをご覧ください。(出典:seiga.nicovideo.jp)
こちらはコスモ星丸くん。言わずと知れたつくば万博のマスコットキャラクターです。
えっ知らない?
そうだとしても、もう名前からしてなんか古くさく感じませんか?
私が子供の頃のつくば万博は「未来」がテーマでした。
当時はこのコスモ星丸くんに代表されるように、まだみぬ未来と圧倒的なテクノロジーにワクワクしたものです。未来は、宇宙船のように銀ピカ一色になると信じていたのです。
しかし、その銀ピカな予想は見事に外れていきます。
進化した現代のテクノロジーは、むしろ自然環境となじむものが増え、デザインはどんどん洗練されていき、アート的要素、精神的要素がまし、世界は多様化し、よりフラットになっていきます。
銀ピカな未来はいつもこないのです。
テクノロジーが進化し、それと引き換えに、人間らしさが失われる未来は物語の定番です。
しかし現代までその予想ははずれ、むしろ多様でシンプルなテクノロジーが拡がっているのが現実です。
人々は昔ほどの創造性や努力という大切な人間らしさを失っているという主張もあるかもしれませんが、そのかわり多様で、よりフラットな社会には近づいています。
今のAIに対する悲観論は、おそらく杞憂に終わるだろうというのが私の直感です。
もちろん、その道程ではさまざまなことがあるでしょうけど、結局、2050年頃の未来の人々が我々を振り返れば「その世界観は古いな」と笑うのだと思っています。まるで産業革命時のラッダイト運動のような感じなのかもしれません。
結局、19世紀の人々が恐れた蒸気機関に仕事を奪われる未来は短期間でおわりました。
そうではなく、社会が変化した結果、新しい職業がうまれ、多くの人は思ったより柔軟にそれに対応していくのです。
次回は、AIがもたらす未来に対し、ウェブ担当者として、これから何を学び、どのようなことを心がければ良いかをお伝えします。