【若者との付き合い方に悩むすべての大人へ】「エモい」は世代を越える――若者を珍獣扱いする前に知ってほしいこと FavoriteLoadingあとで読む

: かまたま
現代の若者言葉の代表例ともいえる「エモい」について解説しつつ、若者との付き合い方や若者向けの広告について、若者なりの意見をお伝えします。若者はなにも理解不能な宇宙人ではありません!

こんにちは、現役女子大学生ライターのかまたまです!

突然ですが、アラサー、アラフォー、はたまたそれ以上の大人の皆さん。

若者との付き合い方、困ってませんか?

「若者の〇〇離れ」と言われたり、「ゆとり世代」「さとり世代」と揶揄されたりすることの多い若者世代ですが、そうして若者をひとくくりに捉えて、毛嫌いしている節はありませんか……?

どうか大人の皆さん、

若者を珍獣扱いするのはやめてください!

確かに若者が使っている言葉や、使っているツール、流行っているモノ、考えていること……「わけがわからない」「理解できない」という意見があることはわかっています。

バブルが終わり、不景気真っ只中の青春を経験している今の10代20代は、確かにバブル経験世代とは違う価値観を持っています。

しかし!

皆さんもまた、10代20代の時代があったはずです。

流行ったもの、使った言葉……それらが浸透した理由を考えてみると、実は私たち若者と皆さんとの間に、それほど大きな差はないのです。

30年前の若者に流行ったものの源流がテレビや新聞などのマスメディアだったのに対し、今の若者のトレンドの源流はSNSやYoutubeである、ただそれだけなんです……!

ということで、今回は現代の若者言葉の代表例ともいえる「エモい」について解説しつつ、若者との付き合い方や若者向けの広告について、若者なりの意見をお伝えしようと思います。

若者はなにも理解不能な宇宙人ではありません!

若者言葉に対する大人の対応の模範回答って?

「エモい」という若者言葉を例に、若者との付き合い方を考えていくのですが……注意点が1つあります。

若者言葉の解説をする記事はたくさんありますが、これらを読み、そして若者への理解を示すという理由だけで、

若者言葉を無理に使う必要はありません。

「若者言葉を使いまくる大人」に対する10代20代の反応って、かなりシビアなんです。

なぜなら、若い世代(特に10代)にとっては「ウチらの会話になんか急に入ってくるよそ者」だからです。

放課後の教室で友達数人で盛り上がってるところに、急に先生がガラッと教室に入ってきて

「わかる~~! あげみだよね!」とか言われても「は?」って感じじゃないですか。

若者が若者言葉を使うのは、自分たちだけの「内輪感」を楽しむためです。基本的に大人は立ち入り禁止区域だと言っても過言ではありません。

(実際、大学生の私でも10代の中高生が使う言葉はあまり使いませんし、理解できないものもたくさんあります。)

じゃあどうすりゃいいんだって話ですよね。

若者への理解を示すには、若者言葉を無理に使ったり「これだから若い世代は」と批判するのではなく、あえて「何も言わない」のが“ちょうどいい対応”だと思うのです。

若者言葉の意味や使い方を知り、若者がその言葉で表現したい気持ちそのものを汲み取ってくれる大人って、若者にとっては貴重な存在なんです。

もちろん、汲み取れない大人が悪いというわけでも、言葉遣いに配慮のない若者を擁護するつもりもありません。
ただ、伝えたい感情がちゃんとあるのに、若者言葉だというだけで揶揄したり馬鹿にされたりするのは悲しいという話なんです。

ということをふまえて、若者言葉「エモい」の解説にいきましょう!

若者言葉の代表例――「エモい」

「エモい」は、2016年に三省堂の「今年の新語」で2位にランクインし、マイナビティーンズラボが発表した2018年の「10代女子が選ぶトレンドランキング」では1位になった言葉です。

「emotional(エモーショナル)」、つまり「感情的な」という英単語から作られた「エモい」という形容詞。

(もともと「エモ」は音楽ジャンルの1つとしてありました。)

今年の新語」の選評では、「感動・寂しさ・懐かしさなど、漠然としたいろいろな感情表現」として使われると説明されています。

つまりざっくり一言でいえば、「なんかいい」です。

プラスの感情もマイナスの感情も言い表せるので「ヤバい」と似ているように見えますが、実は少し違います。

「この景色ヤバい」なら、「絶景でとても美しい」

「この景色エモい」なら、「(その景色から昔の恋人との思い出や学生時代の帰り道を思い出して)しみじみとする」ような感じ。(あくまでも一例です)

「ヤバい」が味や音など直接的な刺激に対する反応なのに対し、「エモい」は対象から喚起される個人の思い出や印象から生まれる感情の揺れを意味します。

一口に「エモい」と言っても、その対象から思い浮かぶイメージや思い出は、ひとりひとり違うものである可能性が高いんです。

そのため、「エモい」は古典の「いとをかし(しみじみと趣がある)」と類似するもの、とも言われています。

また、SNSで特によく使われるこの「エモい」という表現は、若者にとっては「照れ隠し」の役割も果たしているような気がします。

友人や不特定多数の人々が見ているSNSで自分の感動を伝えようとするとき、誰しもが詩人になれるわけではありません。

懐かしさや切なさ、寂しさなど、細かに表現すると少し照れくさいなと思う感情も、「エモい」で表現し、そっと放つことができるのです。

複雑な感情を分解して垂れ流すにはまだ余裕が少し足りない、でも胸をキュッと掴まれるようなこの感覚は共有して残しておきたい。

そんなSNS時代の若者の照れ隠しとして、「エモい」は非常に使いやすく、よく助けられる表現なのです。

「エモい」広告がウケるとは限らない

「エモい」を初めに言い出したのが誰かは未だに不明ですが、10代20代によってSNSで広く使われ、浸透しました。

若者世代で市民権を獲得しつつあるその「エモさ」を広告やプロモーションで狙う企業も増えています。

しかし同時に、広告の「炎上」が増えてきているというのも、多くの人が感じている事実ではないでしょうか。

もちろんその原因は、SNSの普及で消費者の意見がメディアや企業に届きやすくなったことで、炎上する広告が「晒し上げ」られやすくなった(その結果、炎上広告が増えたような感覚になる)という話だと思うのですが。

2019年2月現在、話題になった広告といえば、LOFTのバレンタイン広告

「女の子って楽しい」をコンセプトに、バレンタインで仲良く盛り上がる女の子たちを描いた動画でしたが、その裏では女の子たちの不仲を示唆するような表現があり、「意図が不明」「女性イメージが古い」などの意見が噴出、炎上してしまいました。

(参考: ロフト、バレンタイン広告取り下げへ 女子の不仲描いて「女性蔑視」と指摘相次ぐ : J-CASTニュース)

もう少し前だと、キリンの「#午後ティー女子」のプロモーションも炎上の的に。

こちらも購買層の女性の描き方が問題となり、「消費者をバカにしている」と批判されました。

(参考: 『午後ティー女子』のイラストが炎上。キリンに対して「顧客を悪く描いて何が楽しいのか」の声 | ハフポスト

その他にも、表現方法や文言、イラストなどで炎上に至った広告は数え切れません。

かわいくてエモいイラスト、切なくてエモい文言。

どんなにエモい体裁を使ったとしても、伝わるメッセージがズレていれば多くの人が違和感を抱きます。

それは、いまの若者だって同じです。

なんでもかんでも「エモい」で片づけるわけじゃない

今の若者が「エモい」ものに惹かれるというのはある種の事実です。

「#エモい文字の入れ方選手権」がTwitterで流行るくらい、みんなエモが好き。

確かに私たちは「エモい」が好きだけれど、1つ、勘違いしてはいけないことがあります。

それは、私たち若者を含め、世の人々の多くは「エモい」という表現の奥にある、心の揺れや、それぞれの遠い思い出、細やかなイメージを、しっかり感じ取っているということ。

広告に使われるコピーや画像がどんなにエモくて、一見すると「なんかいいな」と思ってしまうものであっても、伝わってくるイメージ、制作者側の意図や先入観まで感じ取る感性を、私たちは忘れていません。

むしろ、物心ついた時から多くの情報に触れてきた若者だからこそ、情報の裏側を見通す感受性は研ぎ澄まされているのかもしれないし、だからこそ流行語「エモい」が生まれたのかもしれない。

世の広告の多くは若者よりも上の世代の皆さんが作ることがほとんどであり、下の世代の感性を完璧に把握することはおそらく不可能だと思います。

それでも、どうか若者世代の感性を「エモいものが好きなんでしょ」という認識のみでくくらないでほしいのです。

私たち若者の感性は、死んでいません。

なんでもかんでも「エモい」で片づけるわけじゃないのです。

私はコピーライターでもないし、広告企画のプロでもありませんが、若い消費者のひとりとして、大人の皆さんにお伝えしたいんです。

どうか「エモい」にこだわらないでほしい。

どんな言葉で、どんな画像で……それを決めるときに基準となるのは、「エモいかどうか」ではありません。何を伝えたいか、です。

「エモい」はあくまでも、受け取る側が感じること。

そしてそれを喚起させるものは、それぞれの人生に紐づいています。

突き抜ける青空にエモさを感じる人もいれば、路地裏に捨てられた自転車にエモさを感じる人だっているでしょう。

大人の作り手による「エモさ」の押しつけは、若者の感性を否定されているように感じるのです。

ですからどうか大人の皆さん、

「エモい」に過度な期待はせず、過剰に重く受け止めることもしないでください。

「エモい」は共有できる

ここまで散々、「エモい」は若者の特権ダ! 大人はカエレ! みたいに書いててなんかアレなのですが、実は「エモい」は世代を越えて共有できる感性であると私は思っています。

「エモい」の意味は、ざっくり言うと「なんかいい」。

つまりは、「私/僕はこれが好き」ってことなんです。

好きに理由なんていらない、とはだいぶ使い古された表現かもしれませんが、実際のところ、それは真理である気がしています。

若者だろうが大人だろうが、理由をすっ飛ばしてとにかく好きと言えるものがあるなら、「エモい」と言ってしまえばいいのです。

むしろ、人生経験が豊富なことで、偶然に感性を刺激される背景をより多く持つ年長者の方々のほうが、「エモい」という言葉を使うのにふさわしいとさえ思います。

「エモい」は共有できます。

若者が何を考えているかわからない、どう接したらいいかわからない……

そんな風に、珍獣のごとく檻の外からまじまじと見られていると、若者としても居心地のいいものではありません。

私たち若者は珍獣でも宇宙人でもなく、皆さんの若いころと同じ感性を持った人間なのです。

好きなもの、嫌いなもの、感じること、わからないこと……
依然としてある世代間のギャップは、SNS時代である今こそ、共有するべきではないでしょうか。

若者から生まれた「エモい」という言葉は、「なんか好きだ」という奇跡的なほどに広い守備範囲を持っています。

これを若者だけが独占することなく、世代を超えた合言葉として使えるようになれば、若者の珍獣扱いも、大人に対する締め出しも、ちょっぴり緩和されるかもしれません。

「エモい」ものについて、大人も若者も一緒くたになって話ができれば、それはきっとすごく楽しい。

大人の「エモい」を、私はもっともっと知りたい。

かまたま
この記事を書いた人: かまたま

フリー大学生ライター。1997年生まれ。関西の学生向けメディアでライター・編集長を務めた後、フリーライターに。ジャンルにとらわれない「なんでも書くライター」を目指して様々な媒体で活動中。基本的に闇が深い。
Twitterはこちら→@kamatama_kit