今回は森野コラムの影響を受けて中国の歴史に興味を持ち始めた歴史初心者のウェブ通事務局こだまが、「軍師」にフォカースをあてた歴史について森野誠之さん(運営堂)から教えてもらいました。
森野さんの記憶ベースで話してもらっていますので細かい部分で違っていることがある場合があります。歴史に学ぶという観点で話していますので、ご容赦くださいませ。
こだま
森野コラム大好きなウェブ通事務局のこだまです。
ビジネスにおいても歴史においても、No.2の軍師が優秀だと成功をしていたり天下をとっていたりするように思うんです。
だから個人的にはトップの人ではなくNo.2に興味があるんですよね。
ウェブディレクターやマネージャー層、中間管理職はまさにNo.2であり軍師の立場。
そこで今回は歴史好きな森野さんから中国の歴史を学びつつ、ビジネスの軍師になるために必要なことを考えていきたいと思っています。
森野さんって歴史上の人物で一番好きな人って誰ですか?中国に限らなくていいですよ。
森野
ハンニバルって知ってます?
こだま
ハンニバル?映画観ました!レクター…
森野
違います。その怖い映画のハンニバルじゃないです。
私が歴史上の人物で好きなのは、カルタゴという国の将軍だったハンニバルです。
カルタゴは、北アフリカの今のチュニジアにあった小さな古代国家です。
当時はローマ帝国が巨大だったのですが、そこと戦って勝ったとにかくすごい将軍なんですよ、ハンニバルは。戦略も戦術も。
カエサル、ナポレオン、ハンニバルは軍事の天才と言われています。
有名なのは、アルプス越えです。
ローマ海軍が強かったため最短距離の海から攻撃するのではなく、アルプス山脈を越えてローマに侵入して攻撃をする戦術をとったんです。
こだま
学校の歴史では学ばないですよね、ハンニバル。何で知るんですか?
森野
軍事戦略に興味があるので、いろいろなものを読んでいくと必ずと言っていいほど出てくるんですよ、ハンニバルは。
あと、最近の人ですごい将軍と言えば、ロンメルですね。
ロンメルは、第二次世界大戦のドイツの軍人です。北アフリカ戦線でイギリスから「砂漠の狐」と恐れられていました。
軍事っていうのは人間が誕生してからずっとあるものなので、徹底的に研究されている学問なんですよ。
中途半端にマーケティングを学ぶよりも、歴史が深く研究されつくしている軍事戦略を学んだほうが人間の本質を学べると思うんですよね。
こだま
なるほど…いきなり全く知らない歴史の話でした…
そういえば、「論語」や「韓非子(かんぴし)」について書かれたものや過去の戦争の軍事戦略など、経営者やビジネスマンが競争社会を生き抜くための考え方を学ぶビジネス書がベストセラーになることがありますよね。
森野
はいはい。ありますね。
私の場合はビジネス書として入ったわけじゃなく、そもそも歴史が好きで趣味で読んでいたものが、たまたまビジネスでも考え方の根本につながってくる、という感じですね。仕事なんて完全にあとづけですよ(笑)。
こだま
森野コラムの影響で中国の歴史に興味を持って、「小説 十八史略(陳舜臣著)」を読み始めました。項羽(こうう)vs劉邦(りゅうほう)が終わって漢が統一したあたりを読んでいるところなんです。
個人的に以前からビジネスでも歴史でも、トップの人ではなくNo.2の人に興味があります。だから、劉邦に仕えていた軍師・張良(ちょうりょう)が今大好きなんです。すごい人ですよね。
森野
劉邦の配下で有名な人って3人いますよね。
張良・蕭何(しょうか)・韓信(かんしん)。いわゆる漢の三傑と呼ばれる人たちです。
今で言うと、
張良は、「プロデューサー。新規事業が得意な人。戦略を考える人」。
蕭何は、「内政が得意な人。既存事業を回す人。補給。」。
韓信は、「戦の天才。今で言うと営業。」。
こういう優れた人たちの話をよく聞き、使うのがうまかったんですよね、劉邦は。
こだま
この3人ってなぜ劉邦の配下につくことになったんですか?
森野
韓信はもともと項羽の下にいたんですよ。そのときは進言しても取りあげられることがなくて、項羽から離れて劉邦のもとに行ったんです。
蕭何は劉邦と同じところの出身でずっと一緒にやってきました。
張良は「自身は将軍の器ではない」ことを自覚していて、自らの戦略を聞いてくれる強い将軍を求めていたときに劉邦と出会ったんです。
「鴻門(こうもん)の会」って知っていますか?
こだま
項羽の叔父・項伯(こうはく)の仲介で、劉邦が部下の裏切りを項羽に弁明するための会合ですよね?たしか。
森野
そうです。
鴻門の会で劉邦は殺されそうになったんですが、それを救ったのは樊噲(はんかい)と言われているんです。
樊噲はもとは犬の屠殺業をしていた劉邦の幼なじみであり配下です。
注釈:鴻門の会とは
秦を倒すために立ち上がった楚の懐王は、「関中に最初に入った者を関中の王にする」と約束をし、項羽・劉邦などが軍を進めたが、劉邦が先に関中に入り、秦の都・咸陽を落とした。
これに怒った項羽は劉邦を謀反の罪で陥れようとした。当時項羽軍は劉邦軍に比べて圧倒的に兵力が強かったため、劉邦は追いつめられる。
しかし項羽の叔父・項伯の仲介で項羽と劉邦が会うことになり、その会合で劉邦は「咸陽は先に落としたが、宝物などを奪わず項羽の到着を待っていた」と項羽に弁明し誤解があることを謝罪した。
これが鴻門の会だが、このとき項羽の軍師・范増は「劉邦を倒すチャンス」と何度も項羽に訴えていたが聞き入れられず、命の危険を感じた劉邦は樊?とともに会を先に抜け出した。
こだま
劉邦のもとには「劉邦のために」という優れた人たちが集まっていたんですね。
この時代は、天下を取りそうな強い将軍を求めて、かつその将軍が自分を重用してくれるかどうかを見て動いていますよね。
集まってきた人を適材適所でうまく使うことができた将軍が天下をとっています。よね?
森野
そうですね……
でも歴史っていうのは勝った人の歴史なんですよね。戦に勝った人の歴史が残っているんです。
負けた人の歴史はあまり残らないので…残ったとしても悪く書かれちゃっていますからね。
三国志が好きなのでよく話をするんですけど、三国志はご存知ですよね?
こだま
「三国志」っていう名称しか知らないんです。内容まったく分からないんで教えてください!
森野
三国志は、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の3つの国が争った時代の話です。
魏を治めていたのは、曹操(そうそう)。
呉を治めていたのは、孫権(そんけん)。
蜀を治めていたのは、劉備(りゅうび)。
ちなみに劉備は劉邦の子孫とも言われているんですよ。かなり末端の薄い血のつながりのようですけど。
それぞれ3人の主君にはっきりとした特色があるんです。
曹操は超天才。
政治家としても将軍としても兵法家としても、文武すべてにおいて優れていました。
部下はいましたが完全なトップダウン型。超天才だから特に優秀な部下は必要なかったんですよね。
もちろん荀彧(じゅんいく)だったり夏候惇(かこうとん)だったりと優秀な人材を使いこなしていましたが、依存していたかというとそうではないと思います。
ちなみに、兵書「孫子(そんし)」に注釈を加えて編纂したのも曹操です。
劉備のまわりは人材が豊富でした。
No.2である軍師が目立ちますよね。関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)・諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)などの軍師です。
劉備自身はすごい人ではなかったけれども、いい人が集まってくる魅力的な何かがあったんでしょうね。
孫権が治めていた呉という国は、豪族が集まってできた政権なので今の日本と同じでコロコロ方針が変わっていました。
晩年はとくに暴政がひどくなって呉は滅亡の道を歩んでいくことになったんですよね。
三国志の3人の主君から見ると、リーダーが超天才じゃなくてそこそこだったときに優れた部下が出てくる、って感じなんですよね。
リーダーが目立たないので部下が目立っているのかもしれませんし、そうしているリーダーが優秀なのかもしれませんが。
秦の始皇帝もそうですよね。中央集権や法の統治など政治基盤を作っていった超天才型ですよね。
こだま
リーダーがそこそこだったときに優れた部下が出てくる。確かに歴史から見るとそうですね。
そこそこ、とはいえ、主君も優れたところがあったから、なんでしょうけど。これって、主君と軍師のバランスなんでしょうかね…足りないところを補うとか。
森野
そうですね。
こだま
三国志の魏呉蜀、最終的にはどこが天下を?
森野
結局天下統一したのは晋という国なんですよね。
その頃、魏では曹操はもう死んでいて、曹操の子・曹丕(そうひ)が治めていました。
曹丕以降、魏の軍師として功績をおさめてきた司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)がクーデターを起こして晋の礎を築いたんです。
こだま
そうだったんですねー。学校で習った歴史は表面的なことだけだから詳しく知るとおもしろいですねー。
研究されつくしている軍事戦略からビジネス戦略を学ぶ、っていうのはなるほどでした。
次回は「ビジネスの軍師になるために孫子から学ぶ」です。