「ゆるキャラグランプリには出ません」ご当地キャラ界の異端児「カツオ人間」の心意気
www.huffingtonpost.jp/2014/01/07/katuo-ningen_n_4553138.html
人の出入りが多く移り変わりの激しい東京。
対して、人が出ていって時間が止まってしまったような地方。
その差をしっかりと理解してやるべきことをやっている事例です。
まずは上のリンクを読んでから以下を読んでみてください。
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飲んじゃう理由なんて、ないんですよ。全然、ロジカルじゃないんです。
よく考えたらバカバカしいことなんです。
そりゃ、多少のストレス解消にはなるでしょうけども、二日酔いとか身体にはポジティブには働いてないし、それもけっこうなお金を使っているし。
でも、飲んじゃうんですよね。
こういう、「理由がないけど心が動いてしまうもの」って他にないかな、って考えてたんですよ。
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流行るとかバズるとか売上アップとかいいね数とかそういったものは一切考えていません。
人の目を引くのではなくて自然と見てもらえるようなことを考えたんですね。
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この、時系列に基づいたもの(=思い出)、「あの時俺、これ大好きだったなあ」っていうのは、人がモノを買うときにすごく大きな理由になるんですよね。
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子ども時代のTVのキャラや音楽、漫画などなど過去に自分が好きだったものが出てくると、ついつい気になってしまいます。
ガンダムのように行き過ぎた感のあるものもありますが・・・。
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でも、急速に売ると、急速に減退するっていうのはもう、最初から考えていたので、最初はもう、我慢ですよね。
最初の方にテレビに出る機会があって、そこでバーッとフォロワーは増えました。カツオ人間と一緒に喜びました。
でも、そこで来た人たちって、アクティブになってくれないんです。
つながった理由が、「テレビを見たから」という理由でしかないから。
だから、とにかく変な番組に出すのはやめよう、地道にやろうと決めました。
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知る人ぞ知る名店が常連さんを大切にする理由と似ています。
人が入れ替わる東京では目立ったもの勝ち(そうじゃないこともありますが)。
人が変わらない田舎ではいつも通りそこにあることが大切。
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県外の人じゃなくて、高知をよく知っている人に向けたメッセージなんで、妥協がすぐバレる。
リアリティを追求するために文旦とか、ゆずを作っている農家さんのところにお手伝いに行ったりとか、けっこう過酷なんです。
(中略)
面白おかしくやってるふうに見えるんですけど、ホントは緻密で繊細な作業で、ちっちゃな積み木を縦に積んでるような状態ですよ。
一個置き間違えたら即アウト、っていう。
その慎重さがカツオ人間を作ってるんです。
そういう意味で、まったくゆるキャラじゃないんです。本当に。
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簡単そうに続いているものほどこのように緻密で繊細なことを繰り返しています。
華やかな部分は目立つのでそこだけを見てしまいがちですが、
自分たちの目の前にもこういった作業を続けている人がいるはずです。
その人たちをよく見て、自分を見て。の繰り返し。
■□あとがき□■
カツオ人間の考え方っていいですね。
妥協しない仕事の積み重ねがって地味ですが本当に大変です。
しかし、それが最高の営業になって自分に返ってきます。
目の前のことをしっかりやることからですね。