わからなかったのに「YES」という日本人 | 語学力アップブログ
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ワールドカップが嫌いなサッカー雑誌の記者、『本屋大賞』が苦手な書店員 – いつか電池がきれるまで
fujipon.hatenablog.com/entry/2014/06/27/155715
「分かりましたか?」
「分かりません・・・」
「なんでわからないの?」
こう言われた経験はないでしょうか?
こう言われてしまうと次からはわからなかったのに「YES」としか言えなってしまいます。
そして、これが小学校から続くと、聞かれたことには「YES」と答える習慣が知らないうちについてしまいますよね。
こうしておけば怒られませんし、その場はしのげるし、周りのみんなも巻き込むことはありませんから。
日本人特有のモヤモヤさはこういったところから来ているんじゃないかと思います。
仮に自分の主張をしたとしても自分で考えるのではなくて「正解」を教え込まれて覚えることになります。
これが勉強だと思っている人が多いのではないのでしょうか?
これを勉強だと思ってしまうと数限りない選択肢をすべて覚えることになりますので、
ちょっとでもどこかが変わると対応できなくなってしまいますし、何の積み重ねもありません。
しかし、「正解」を知らない人間はダメな人と見られてしまいますので必死に「正解」を覚えます。
「正解」は「正解」ではなくて「多くの人が思っていること」なので人が言っていることに合わせればよくなります。
これがすなわち、空気を読むというか行間を読むというやつです。
自分の意見が言えない人はこれに慣れているというかこの行動が「正解」だと思っているので、最後まではっきりしないんですよね。
プログラミングされていないものにエラーが返って来るのと同じです。
ここから脱却するには「正解」を覚えるのではなくて見つける習慣を身に着けることと今を疑うことの二つです。
もっと他の回答があるはずだ、もっと良い答えがあるはずだ、条件が変わればこんな答えもあるはずだ、などなど。
そして、自由に発想することです。
妄想と言ってもいいでしょう。
宝くじが当たったら、明日急に仕事が休みになったら、10分後に地球が爆発するなら・・・。
あり得ないことを自由に考えることができるようになったらそれを現実に落とし込んでやればOKです。
当たり前のことから飛躍的な発想は生まれませんが、飛躍的な発想からは当たり前よりちょっと良い発想が生まれます。
「正解」を記憶の中から引っ張り出せるかどうかの二択ではなくて、好き勝手に考えて「正解」っぽいのものを考えてみればいいんですよね。
空気を読んだ無難な行動をしていても何も変わりません。
自分で考えたことを自分の言葉で伝えてみる努力をしないといけないですね。
自分で考えて必死に伝えようとすれば必ず伝わります。
サッカーのワールドカップとテニスのウィンブルドンが一緒に見れてしまう幸せ。
世界のトップクラスの試合はどんなスポーツを見ていると、
自分の判断で状況に応じで適切な対応をとることの重要さが分かります。
教えられてから動いているようではやっぱり遅いです。