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新規集客って難しい
 

丸山です。
こんにちは。

動き出せて楽しい。
続きは編集後記で。

■ 新規集客って難しい

最近、私の知人であるMicrosoftとのAI学習で有名なキカガクの吉崎さんが、こんなサービスをリリースしていました。

受講料無料は新たな教育ビジネスへの挑戦である
fwywd.com/blog/challenge-of-a-new-education-business

私としてはすごい熱量だな、と思ったのと、本当に挑戦だなと思いました。

そんなに深い仲ではないですが、おそらく彼がいろいろ悩んだであろう教育への課題解決方法が体現されているのだと思います。

期待したいのと同時に、今すぐ理解されることは少ないのだろうな、とも思いました。

でも何人かの相性の良い人が現れて、きっと前進していくのだろう、と。

そういう意味でも彼は挑戦と言っているのかも知れません。

十牛図

禅の修行のプロセスを10枚の牛の図で表した、十牛図というものがあります。

www.tees.ne.jp/~houjuzan/jugyuzu.html

最近、禅だけでなく、サッカーやゴルフのようなスポーツでも、プログラミングでも、マーケティングでも、彼のような教育事業でも、ほとんどこの十牛図の通りなのではないか?と思うようになりました。

Wikipediaより十牛図は次の通りです。

  1. 尋牛 – 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。
  2. 見跡 – や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
  3. 見牛 – 行においてその牛を身上に実地に見た境位。
  4. 得牛 – 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。
  5. 牧牛 – 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
  6. 騎牛帰家 – 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。
  7. 忘牛存人 – 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。
  8. 人牛倶忘 – 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。
  9. 返本還源 – 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。
  10. 入鄽垂手 – 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。

モノゴトが上手になるまでに

このままでは、禅の修行のままなんですけど、かいつまんでざっくり流れを描くと、特に前半はモノゴトが上手になっていくまでの流れになっています。

・1:大切なことを忘れ、とりあえず目先のものを追うことにする
・2:書籍や師匠から学びいろいろわかった気になるけど、実は勘違いしている
・3:トレーニングし、なんとなくコツを掴み始める
・4:コツを掴むけど、まだ忘れやすい
・6:自分のモノになったので、元に戻ってくる
・10:偉ぶらず人に教える

冒頭、私が「今のままでは理解されづらそう」「でも、何人か相性がよい人が出そう」と思った理由は、まさに十牛図にあります。

私は門外漢だから完全には理解できていませんが、確かに吉崎さんのサービスは教育事業に真剣にとりくんできた彼だからこそ、本当に大切なことを解決するためのサービスになっているのだと思います。

しかし十牛図によると、誰もが初心者のうちは「本当に大切なこと」に気づくことができません。

確かに、私自身が「門外漢だから完全に理解できていませんが、、」という通りになっちゃっています。。

なので、彼のサービスの最初のユーザーは、おそらく学習を進めて壁にあたった人か、たまにいる、最初から本当に大切なものに気づきやすい人になるのではないか?と思ったのです。

新規の要望を”受け入れよう”

専門家から「すごくいいものなのに、なぜか流行らない」って評価されているものは、大抵この現象に当てはまっていると思います。

それが良いモノだとわかるのは訓練を積んでからで、むしろ初心者のうちは「勘違いしたものに飛びつく」のが、不思議とパターンみたいになっているのですよね。

ですので、もし初心者(≒新規顧客)に興味をもってもらいたいのであれば、専門家からみたら勘違いだとしても、まず彼らが望んでいるものを提供しなくてはならないと。

極端なたとえですが、仮に子供が「望遠鏡が欲しいから、あの学習キットが欲しい」といった場合、たとえ本質からずれていて、案の定勉強しなかったとしても、その10年後くらい貧乏な親に迷惑かけたと思って反省して勉強するから、受け入れるというのもありかもよ、という話です(※私の実話です)。

まぁ反省しないこともあると思うので難しいですが、、苦笑

正義感が強いと、どうしても自分が掴んだ”本質”を必死で伝えることに集中してしまい、「そもそも初心者って何を望んでいるんだっけ?」というのを忘れがちです。

初心者はみんな勘違いから始まる。試行錯誤を繰り返しながら、だんだん核心に近づいていく。これを私は受け入れる理解だと思っています。

理屈として理解しているわけじゃないのですけど、初心者はそういうものとして、世の中の不思議として受け入れるといいますか。

専門外では自分も同じだし、誰もが同じなんだなと。そう考えると肩肘張らなくてもすみます。

そして、誰がどの分野の専門家かは、本当に人それぞれ辿ってきた道で違うので、そういう意味で、世界はほんとうにフラットだなと思うのです。

編集後記

最近、いろいろな人に連絡をとり、動き出しています。

もともと私はウェブ通を始めた時とかそういうところがあったのですが、最近は歳をとったのと、コロナなんかもあってめっきり内にこもっていました。

久しぶりに外に出ていろいろ話すと、昔の感覚を思い出してきてワクワクします。

書を捨てよ町に出よう、ですね。

 

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